竹との出会いから25年、
変化を積み重ねて今、思うこと
MIN GALLERYでは、2026年4月10日(金) 〜19日(日)、竹工芸家・初田徹の2年ぶりとなる個展を開催します。
今回の個展が当ギャラリーでは実に6回目となる初田さん。2024年には「自在に」をテーマに豊かな感性に溢れた作品群を発表しています。竹というシンプルな素材を用いながら、荒削りなパワーを伝える花器があるかと思えば大陸から伝来した竹工芸の歴史を感じさせる緻密な大作、日常使いにしたくなるモダンな菓子切りまで多彩なクリエーションを見せてくれた作家は今回、何を見据えて制作に取り組んできたのでしょうか。2年ぶりではありますが、これまでの長い旅路を想起させる力作が揃いますのでどうぞご期待ください。
この日はいよいよ制作活動も佳境に差し掛かった世田谷のアトリエに、初田さんを訪ねました。

住宅地の中の一軒家に設けられた静かな空間。アンティークのライトや、整然と置かれた道具の佇まいにも作家の性格が見てとれるよう。
竹の美しさに魅了された作家の静かな日常
あまりにも日常的であまりにも身近。竹とはそういう存在だと思っている日本人は多いのではないでしょうか。
春の訪れを告げる筍料理は食べる竹ですし、日本家屋の天井や壁に設られる建築材としての竹もあれば、柄杓や箸など道具に使われる竹もある。編めば籠や家具になり、“どんど焼き”など燃材として用いられる竹もあります。変幻自在な植物、竹は、長い歴史を通して私たちの暮らしに寄り添う存在でした。
昭和後期ごろからは、竹を用いた暮らしのアート「竹工芸」の価値が海外のコレクターを中心に見出されるようになり人気が高騰。美術館のパーマネントコレクションとして収蔵されたり高名な竹工芸家の作品がアートピースとして熱い注目を集めたりし、国内のハイエンドホテルやファインダイニングではバンブーアートが空間を飾る機会も増えました。
しかし竹工芸家の初田徹さんにとって、竹という存在は前述したどれとも少し違っているように思います。強いて言うなら、まさに彼の人生そのもの。共に生きる同志のような関係を思わせます。作業場を訪れた日、しなやかな細い指先を駆使して竹に刀を入れている様(さま)は、言葉はないもののまるで素材と会話をしているかのようでした。

工房で竹を削る。削り始めた途端、あっという間に小さな竹の欠片が周りに溢れはじめた。刀を入れるのに迷いはなく、機械のような正確さで形を掘り出していく。
出会った瞬間から竹の魅力に引き込まれた
「私が竹工芸の世界に身を置こうと考えたのは大学時代のことでした。それまで縁があったわけでもなく、ある夏、仲間たちと流しそうめんを楽しもうと準備のために立ち寄った竹工芸の店で、竹に出会ったのです。こんな世界があったのかと開眼する思いでした」(初田さん)
当時の初田さんは一般企業に就職すべきか、それが自分の本望なのか、正解であるのかと思い悩んでいた時期。ふとしたきっかけから竹工芸の世界に進むと決心し、逆に、驚いたのは周囲の人々だったかもしれません。「工芸がやりたいのであれば竹でなくても」「竹工芸で食べていくのは本当に難しいこと」と言われても、いったん固めた気持ちは揺らぐことなく、その夏以来25年を竹と共に過ごしてきました。
冒頭でも触れましたが、初田徹作品というのは一つの形状・ジャンルに定まりません。緻密に編まれた籠があるかと思えば、自由な曲線を描く流体のような茶杓、箔を纏(まと)った潔いフォルムの菓子切りなど、実に多彩。編む、削る、割る、曲げるといった技を総動員して作られる竹の作品の数々は、それでも不思議なことに何かしら一貫したスタイルを感じさせます。それは何なのかを言葉にしたいところですが、当のご本人も一心に竹の道を歩みながらも道中では寄り道を繰り返してきたと言います。迷い道ではなく、寄り道です。

2010年、2011年には「東日本伝統工芸展」に入選。当時の図録は今も大切にしていて、緻密に編まれた竹籠作品を見せてくれた。
夢中で突き進む自分をどこかで俯瞰する自分もいる
「この道に進む際、10年後に竹で食べていられるかの保証はないと言われたのですが、そんなことはまったく構わないと思いました。しかし、かといって愚直なだけの鍛錬というのも少し違うと考えています。私の場合、夢中で突き進む自分もいますが、それをどこかで“このままではいかん”と俯瞰して矯正を試みる己もいる。そうやってさまざまにさまよい、その時の正解を求めて流れを変えたりし続けてきました」(初田さん)
初田さんの話し方や振る舞いに感じるどこかふわりとした雰囲気は、工芸家というよりは小説家のようであったり画家のようであったりします。その理由の一つが作家然としていない自由さであるかもしれません。ある程度竹を扱える技術を習得してからは、竹とどう付き合うのか、自分は何を表現していきたいのか、その先に何を見つけたいのかというような自問自答を繰り返しつつ、いつしか修業のスタイルも含めて創作しようと試みているのが初田さんのやり方ではないかと思うのです。
それを象徴するものが、初田さんと茶道との付き合い方に見てとれます。2008年、当時茶道具なども作っていた初田さんにとって「茶の道に触れる」というのは避けては通れない道でした。興味を持っていたこともあり裏千家に入門。熱心に3年ほど稽古に通い、作家として必要な茶道のあれこれを学ぶうちに、ふと立ち止まったといいます。
「知れば知るほど、作品作りに対し創意よりも“間違い探し”に似た感覚を覚えるようになっていました。もちろん稽古を重ねたことで、茶道具を作る上で外せない実用性や理由を学べました。しかし私は竹工芸家です。茶人を目指しているわけではない。茶の道に専心し究めるべき方々とは異なる、ものづくりを究めるべき工芸家として、茶道の精神を自分の感覚や創作活動とすり合わせる必要があります」(初田さん)

窓辺に並べられた茶杓の数々。中には制作過程のものも。どれもフォルムから大きさまで表情はさまざまで、使い手に選ばれる日を静かに待っているような面持ちに見えた。
自分で定めたテーマをやり続ける、それが私の修業
「たぶんこの頃から、竹は私にとってある種のフィルターになったのだと思います」と初田さんは言います。フィルター(竹)を通して多くのものが心を通過していき、わずかに残されたものを「なぜこれが自分の中に蓄積されたのか」と考えながら制作活動に落とし込んでいく、それが初田さんなのです。
茶稽古からいったん距離を置き、ものを創る者としての感性と再度違う角度から向き合うと決意した初田さんは、茶杓削りを控えることにしました。代わりに「菓子切りを千本削る」というハードルを設け、3年半をかけてこれをやり遂げました。
「なぜ千本かというのに特に大きな理由はないのですが、基本的な技術を改めて学び直す気持ちでしたのでこのくらいの数は必要だろうと考えました。当時、菓子切りに注力する人は少なかったので、かえって自分なりの意義や価値を見出すことができました。名もなき道具だった菓子切りに「ささのは」という名をあえてつけていたこともあり、小品ながらも作品という気持ちで取り組みました。千本完成したら、それで個展を開くなりすれば新たな地平が見えるのではないかとも思いました」(初田さん)

初田さんにとって転機となった菓子切りがこちら。シンプル極まりない形でありながら凛とした印象を与える暮らしの道具は、多くのファンから今も愛されている。
裾野を広げたその下に眠っている世界を掘り下げてみたい
千本の菓子切りは、技術力向上だけではない想定外の恩恵を初田さんにもたらしました。その中の一つが、茶人以外の多くの人々と新たな接点を見つけるきっかけになったこと。「自分自身の心身の回復にも寄与してくれたのではないかと思います」と初田さんは言います。
「2018年からは改めて茶杓制作に力を入れるようになりました。菓子切りという、身近にあって銘など持たない道具を削り続けたことで、他者との関係性や自分自身の在り方について考える時間が持てたことなど、気づきも多く。この年、自主的に場所を借りて、初めて茶杓にテーマを絞っての展覧会を開くことができました。」(初田さん)
小品ながら、敢えて“千本修行”を行った自身の菓子切りも“作品”と慈しむ初田さん。「ささのは」、煤竹金彩のものには「夕星」と銘が与えられました。しかしその後、2023年には定番であった「ささのは」の制作を止めると宣言。次の世界に向かうためには手放すことも必要と語る初田さんには、茶道から菓子切り制作の「行」に向かった時と同様、常に新たな星を見つけるために今を捨てることを厭わない潔さを感じます。
「菓子切りを通して多くの人々と知り合うことができました。裾野を広げられたのかもしれません。そして裾野が広がった後に高みを目指すというよりは、そこから深く降りた下にどんな世界があるのかを見てみたい、そんな気持ちがあります」(初田さん)

工房の隅や天井には、初田さんが時間をかけて集めた竹材が大切に保管されていた。驚くほど色合いはさまざまで、いずれも竹が生まれてから積み重ねてきた長い年月を上品な艶で物語っているよう。
心の中に流れ続けるテーマは「継続」かもしれません
今回話を伺って、竹工芸家というのはなんとストイックな仕事なのかと感じます。仕事というよりは生き方であり、スタイル。まとまったお金が手に入ると、それですぐに竹材を求めるのが常といいます。煤竹や古竹というのは何十年も前にこの世に生まれたものであり、それらが古民家などで人の暮らしをずっと見守った果てに、家屋の処分などでようやく再び素材となって、世に出るのだそう。細く長い運命の糸のような竹の歴史があり、あるタイミングで偶然、初田さんの手に渡ってなんらかの形を得ているわけですから、そう考えると一つ一つの作品の背景には途方もない時間が見え隠れします。
「時々立ち止まって周りを見渡さないと怖くなるんです。成長過程の途中にある自分が茶杓などの文化の道具をどんどん作って売ってしまったら、後からもっといいものが作れるようになった時に、逆に苦しむことになるんじゃないか、とか」(初田さん)
謙遜というよりは、本気でそのように話す初田さん。今回の展覧会では茶杓や菓子切りのほかにも、籠や花活けなど、多くの作品が揃います。またアーカイブ作品として過去の作品も一部展示される予定です。
MIN GALLERYでの初田さんの個展は今回が6回目。静かな竹の作品には一見すると過去のものと比べて大きな変化はないように見えて、それでも作家の心の眼から眺めると確実に時は動いているといいます。変化と継続。飽くなき寄り道の繰り返しが生んだ奇跡のような竹の作品を、ぜひご覧いただければと思います。

作業机の横に置かれていた古い竹についての本。古書も素材も、初めて会う人との会話も、公園で楽しむ茶の時間も、初田さんに撮ってはすべてが魂の肥やしであり創作の糧となっている様子。
初田 徹/TORU HATSUTA
1980年東京出身 法政大学在学中、ふとしたきっかけで訪れた竹工芸店で竹の美しさに打たれ、この道に。2010年、2011年と連続して「東日本伝統工芸展」で入選し、以降、徐々に若手竹工芸家として認められるように。2017年にはオーストラリアのビクトリア国立美術館に作品が収蔵された。「竹のかけらを結んで継ぐ」を信条に歴史や文化を自分なりに形にすることに邁進する。
text by mayuko yamaguchi
photo by yumiko miyahama
