二人展に寄せて Vol.1 「ガラス作家・辻野剛 」インタビュー

2025.03.05


進化しながら退化もする

そんな理想をガラスで表現できたら


「MIN GALLERY」では、2025年3月19日〜30日、貴石彫刻家・詫間康二とガラス作家・辻野剛による二人展を開催します。

石(水晶)を媒介として新たな表現を模索する詫間さんと、ガラスが持つ可能性の地平を広げるべく挑戦を続ける辻野さん。水晶とガラスはその透明感が共通項ですが、二人の作品を見ると、そのイメージのみではあまりにも短絡的であると気づかされます。なぜなら彼らが作るものの奥には、複雑で多彩な表情が幾重にも潜んでいるから。透明であることを超え、そこには別の何かが存在しています。

MIN GALLERY創業以来の念願でもあった二人の作家、石とガラスの作品展。訪れる人々に新鮮な感動を与えてくれることを確信しつつ、それぞれの作家が抱く今回への思いについて話を聞きました。前編は辻野剛さんです。いよいよ出展する作品制作の大詰めに入った詫間さんと共にこの日、和歌山県は白浜にある辻野さんのアトリエを訪ねました。

 

辻野剛さん(手前)のセカンドアトリエ「CAVO」は南紀白浜に。太平洋が見渡せる海岸沿いにあり、辻野さんの癒やしの場でもある。初めて出会う詫間康二さん(奥)とお茶を飲みながら。

 

ガラスと水晶、互いを眺めて浮かび上がる新たな魅力

この日、初めて顔を合わせた辻野剛さんと詫間康二さん。辻野さんは80年代半ばから吹きガラスによる作品作りを続けており、詫間さんは「詫間宝石彫刻」という、甲府に拠点を置く貴石研磨の製作所の2代目。水晶や瑪瑙(めのう)による作品制作を生業(なりわい)としてきました。

境遇も作家として対峙する素材も異なる二人ですが、どこかそこには通じるものが感じられ、いつか共に作品を並べる場が実現すればというのが「MIN GALLERY」の願いでした。そんな理由で二人に声をかけたところ、「実は、ガラスも水晶も珪素(二酸化珪素)から出来ているというのも共通しているんですよ」と辻野さんが教えてくれました。

「ガラスの原料は、珪砂(けいしゃ)と呼ばれる石英を細かくした砂です。でも、そもそもガラスが砂から作られるということさえあまり知られてはいなくて。詫間さんの作品を初めて拝見した時、言葉にすると軽いんですが『あぁ、いいなぁ』と思いました。

クラフトを手がけている以上、素材は天然のものであるというその定義から私は抜け出せなくて。陶芸や木工は、土や木から捻り出したり削り出したりするわけです。石もそう。ただガラスとなると量産される工業製品だと思っている人もいるでしょうし、造作をつけるのも安易に思い通りになると考える人もいるでしょう。

私は、人類で初めてガラスを発見した時に人間が抱いた感動や、量産などできなかった時代に希少な装飾品として愛でられ珍重されていたガラスを想像し、今、この素材を使って何ができるだろうかと考えてもの作りに取り組むようにしている、そんな感じです」(辻野さん)

 

歴史の瞬間瞬間でガラスはどんな感動をもたらしたのか

製作に励む辻野さん。天井の高いアトリエは、真冬でも坩堝(るつぼ)に火を入れると一気に熱気で暖まる。

 

辻野さんの話に興味を惹かれインターネットでガラスの起源を調べてみると、ことほどさように人間の営みに沿って価値が変化した素材は他にあるだろうか?と思えてきます。

紀元前4千年ごろ、エジプトのメソポタミアで偶然発見されたガラス。焼かれた砂が意図せぬ変化を遂げてキラキラと輝く透明な個体が生まれたといいます。当時の人々にとっては宝石と変わらない存在であったことでしょう。ピラミッドに遺された装飾品や正倉院に伝えられた器にもガラスは使われており、それらは愛用者の威信と栄華を物語るものでした。紀元前1世紀ごろには吹きガラスが発明され、フェニキア人のガラス職人が編み出した技法は、現在辻野さんがアトリエで実践しているのとほぼ同じというのも驚きです。

「これだけ長い歴史を有する素材、ガラスを用いて、私は表現活動をしているわけですが、まだどこにも着地できてない。満足するのはまだ先のことかなと思います」と辻野さん。

「ガラスを最初に見出した人は、いったいどんな感動を覚えたのでしょうね。今でいうジュエリーのような存在であったと想像しています。人々がそれを欲しがるから多くの人が研究を重ね、大量に作れるようになり、そうすると経済の仕組みでどんどん価値が下がっていった。便利で使い勝手のいい素材なので今や暮らしにも欠かすことはできないのですが、私が生み出したいものはそこにはありません。これまでの道のりを逆回転させ、大量に作らないことが正義であると思っています。大量生産や大量消費の状況を確立してしまった上で、人々はどうやってものを作っていくかというのが大きなテーマです。なので、手作りにこだわりたい。人の手によって、必要なものだけを作れば良いのではないかと」(辻野さん)

 

クリアできれいなだけのガラスは本当に必要か?

1000度ほどの高温でどろりと溶けたガラスを金棒に巻き付けて坩堝(るつぼ)から取り出し、一人が息を吹き入れつつもう一人が成形を担当する。少しでも間違えば事故につながりかねない難しい作業は、一挙手一投足のテンポを完璧に合わせることで成し遂げられる。

 

辻野さんにとっては何十年も触れているガラスではありますが、常にそこには様々な疑問があるといいます。

浄化されたものは今や必要ないのではないか?
常にピュアなものを消費しなければならないのか?
「むやみやたらといいものを作ってしまうと、知らぬ間にいいものの価値が落ちてしまう。効率や合理性を考える思想自体が、実は時代的にはもう古いのではないだろうか」

という考えのもと、その価値観をくつがえしたいというのも作家活動のモチベーションであるといいます。

そんな辻野さんの話に、詫間さんからも言葉が重なりました。

「水晶の世界でも不純物の混じっていないまったくクリアな状態のものが最も希少であり、珍重される風潮がありました。占い師が未来を占うのにのぞく水晶玉のイメージがそれですね。ですが、私は子供時代から水晶の中に潜む様々なインクルージョン(内包物)に心を奪われていました。水晶って石英岩の上に群生するんですが、500万〜1500万年前に生まれたものがその後もゆっくり成長しています。1ミリ育つのに100年かかるとも言われる、そんな石なんです。なんの不純物も含まないクリアなものは大変希少ですが、逆に、不思議極まりない意匠で石の奥に輝くインクルージョンを見ていると、自然の中でよくこんなものが残されたよなぁと感動を覚えます。いかにそれらの特徴や美しさを石に閉じ込めたまま作品に仕上げるかが私の仕事。“いいもの、いい作品”がどういうものであるかは、誰も決められないんです」(詫間さん)

 

進化も退化も併せ持つ、そんなガラスを作ってみたくて

辻野さんの暮らしの中にも多くのガラスが溶け込んでいるが、一つとしてあってもなくてもいいものは存在していない。必需のガラス、必需のモノこそが辻野さんにとっての暮らしの道具。


今回の展覧会に出展される辻野さんの作品は、揺れる色の炎を思わせる「primal」シリーズ、繊細で優美な細工に職人としての気質が見え隠れする「venetian」シリーズ、そして深海に長く沈んでいた宝物のような風合いが魅力的な「abyss」シリーズが登場します。まったく毛色の異なるシリーズですが、辻野さんの豊かな創造性やこれまでの歴史が垣間見られるような内容です。特に、最も新しいシリーズ「abyss」は未発表の作品も多く、今回ぜひ注目していただきたいところです。


「abyss」シリーズ


「abyssはね、ちょっとだけ進化というか退化というか。けっこう以前から取り組んではいたんですが、ずっと変化しているシリーズなんです。ここ、白浜に新たなアトリエができてからは常に眼前に海が広がり、あたりにも香りが漂っているんですが、海の中から引き上げられるものの表面にいろんな有機物がくっついて自然のデザインが出来上がっているのがおもしろいなと感じて。そういえば、博物館に展示されるような古代のローマンガラスも、表面が銀化してキラキラしていたりするんですが、あの雰囲気とも少し通じるものがありますね」(辻野さん)

二人の話を伺って、最後にもう一つ共通点が見えてきました。それが、作品の中に見えてくる「時間」です。人間にとっては永遠にコントロールすることが叶わない時間への憧憬を、二人の作家は偶然にも作品の中に表現しようと試みていました。

「二人展は初めて」という辻野さんと、「そもそも個人的な展覧会自体が初」という詫間さん。二人の渾身の作品が並ぶ作品展がいよいよスタートします。

 

ガラス作家

辻野剛 / TAKESHI TSUJINO

1964年大阪府出身。大阪のデザイン専門学校を卒業後渡米し、シアトル「Pilchuck Glass School」等様々な学校や工房で吹きガラスを学ぶ。帰国後、2001年に大阪府和泉市に工房「fresco」を創立。2022年には和歌山県南紀白浜に新たな工房「cavo」を創設。圧倒的な世界観を持つガラス作品を生み出すアーティストとして国内外に知られる。

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Text  by Mayuko Yamaguchi
Photo by Yumiko Miyahama

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