絹織物作家「大和田慶子」インタビュー

2026.10.29

繭から織物まですべてをこの手で。
「椿の白」を生む染織家

2026年11月6日~8日に京都で開催される「CURATION FAIR KYOTO 2026」に「MIN GALLERY」が出展します。古刹「本山 妙覺寺(みょうかくじ)」を舞台に様々な趣向でアート作品を展開いたしますが、中でも、愛媛県西予市に暮らす絹織物の作家、大和田慶子(おおわだよしこ)は、今回が初めての作品お披露目となります。

愛媛県西予市、山深い小さな集落に家族と共に暮らす大和田さん。嫁ぎ先の家業である養蚕をはじめ、蚕の飼料となる桑の葉を育て、養蚕で収穫した繭から糸を繰って生糸に紡いだ後は糸を染め、織り機で布へと仕上げていく……。一連の作業をすべて一人の手でこなすというのは、日本ではもちろん世界的にもごく少数だと言われます。伊勢神宮に納めるほど上質な国産の繭を生産しつつ、それらを自身の作品づくりにも活かす大和田さん。落ち着いた表情の奥に潜む、静かな情熱を語っていただきました。

遠く離れた場所から大和田さんが暮らす集落を眺めるとこんな感じ。冬になると雪白に染められる山々は、神々しささえ漂わせている。


山の懐に抱かれて、自然を友に生きる人

道後の町を出て車で1時間半。到着前にはスマートフォンの電波も途絶え、「本当にこの道で合っている?」と、何度も地図を確認しながら細い山道を走らせていくと、ようやく小さな集落が見えてきました。ここは愛媛県、西予市野村町。日本でも有数の国産絹糸「伊予生糸(いよいと)」の生産地だと聞いていましたが、作家の大和田慶子さんが家族と暮らす家は、全部で数軒しか民家がないという山深い場所にありました。

「ようこそ、いらっしゃいませ」と、風に吹かれながら静かな笑顔で私たちを出迎えてくれた大和田さん。香川県高松市に生まれ、東京や京都の外資系ホテルのフラワースタイリストとして活躍された後に「根本から糸と向き合う染織家になりたい」という新たな目標を得て、野村町に移住したのだといいます。30代半ば、たった一人で何のつても持たずに飛び込んだのが、「西予市野村シルク博物館」。日本で糸作りから学べる教育機関はほぼゼロで、この博物館では風趣を愛する一般者向けの体験講座を開催していたことから、大和田さんは一縷の望みをかけてここを選択したといいます。

「いざ決心して来てみたら、定年後の方や地元のシニア女性たちが趣味で学んでいるカルチャーセンターっぽい感じで、一瞬自分の選択は間違ったのではないかと不安になりました」と当時を思い出して大和田さんは微笑みます。

しかし、フラワースタイリストのキャリアを捨て移住までしたのだからと、気持ちを切り替えるしかありませんでした。知りたいことは質問し、講師でも答えられない場合は、自分で答えを見つけるしかないと悟ったそう。

「ゼロからの初心者でしたが、それでも私はそれを仕事にしたいと本気で考えていたものですから、学ぶパワーと意欲が違います。まるで大学で学ぶ研究生のように、調べて、実験して、また考えて……を飽きずに繰り返す、そんな日々を送りました」(大和田さん)

薄く透けて遠くが見える大和田さんの作品。ところどころに入る模様は、真綿を織り込むことによって生じるもので、風合いを増している。


透明に輝くごく薄い織物はまるで羽衣

15年前を懐かしく振り返りながら大和田さんが見せてくれた作品に、思わず息を呑みました。
それは白いシルクの布ですが、なんという薄さなのでしょうか。窓にかざせば風景が透けて見え、肌を包むとふわりと風をまとうようなやわらかさ。そしてなんといってもその軽さには、触れた指先が驚いているような印象です。揺れるたび、かすかな光沢がさわさわと移動するようにきらめくのがまた美しくて、私がこれまでに触れたどんなシルク織物とも共通点が見つけられないのでした。

「西予市産の繭から作られる伊予生糸は、一般の生糸に比べて、白い椿のような気品ある光沢とふんわりやわらかな風合いがあると言われています。それが特徴なんですが、さらに私は極限まで細い糸を紡ぎ、その糸で織っています。強さや耐久性を追うことはなく、かといって絢爛豪華さも不要。私が作りたいのは、人の手が入ることによって素材の美しさが際立つような存在です。手仕事の素朴さやぬくもりでもなく、もっと決定的に手織りでないと生み出せない美とは何だろうかと、それを追求したくてこんな仕事をするようになったのだと思っています」(大和田さん)

大和田さんが織った布が不思議なきらめきを放つ理由は、他にもたくさんありました。それは、例えば繭を吐く幼虫である蚕を育てるところから違っています。採れたてのフレッシュな桑の葉を桑畑の目の前の小屋で待つ蚕たちに存分に与えていること、繭を作る蚕たちに極力ストレスを与えず自然に糸が吐けるように留意すること、糸を手繰る際に天然の“撚り(蚕がS字状に身体をうねらせながら吐くことによって生じる)”が生かされるようにゆっくりと行うこと、など。すべてがゆっくり、細心の注意をもって進められることによって、結果的に一点の作品を作るまでには膨大な時間がかかります。それこそ、桑を植えるところから織り上がるまでの時間を考えると、気が遠くなるような時間が。美しさを損なう合理化は一切しない大和田さんゆえに、お世辞にも生産性が良いとはいえません。

青々と茂る桑畑に入って世話をする大和田さん。大都会に暮らし、ホテルの花をデザインしていた頃に比べるとずいぶんと植物との距離が近くなったと笑う。


風前の灯となった繭の生産に光を差す存在に

お話を聞いてもう一つわかったのは、繭を取り巻く世界事情。絹糸が繭から作られるというそれだけの知識しかなかったことが、この瞬間にようやく理解できたのでした。
1900年代初頭、日本は世界一の生糸輸出量を誇っていました。遠い昔のことですが、着物文化が育まれた国ゆえに、絹織物の原料生産は大切な国策だったのです。しかし現在、日本の絹製品のうち国産生糸が占める割合は1パーセントを切っています。それはつまり、壊滅状態に近いということ。化学繊維の台頭や、生活の衣服が洋装に変わったのもすでに遠い過去のことであり、今後も産業として養蚕業や製糸業が復興する見込みは少なそうです。

そんな状況ももちろん十分に理解した上で、繭や糸と関わる人生を選択したのが大和田さんという作家です。花を相手にする暮らしが、繭や糸に自身の時間を捧げる生き方に変わりましたが、根本の部分はきっと何も変わっていないのではないかと感じました。

一個の繭から紡いだ小さな極薄の美しきもの「一粒」のことを、大和田さんは「繭の本質ですよね」と話す。「この地の生糸の特徴である白さやうねり、微かな光沢がすべて表れていて。本当に美しくて見惚れてしまいます」。


繭と糸が好きというその思いだけが活動の源だった

「織物」と呼ばれる分野ですが、大和田さんの場合は、いくつもの小さなジャンルが連なって最終的に「織物」という形に帰着しているというのが正しいのかもしれません。桑や繭を育てる農業的な部分から、ごく細い糸を紡いだり織ったりする職人としてのジャンル。通常は作業ごとに分業されてそれぞれの専任者がいるものですが、すべてを一人でやるから、すべての仕事に自己流を貫けます。それは例えば、こだわりの強い料理人が、野菜の栽培からワインの醸造、家畜を育てて料理もデザートも作り、サービスも……というのを想像するとわかりやすいかもしれません。しかし、おそらくそのような料理人はいません。

そんな大和田さんの繭への愛情を物語る小さな作品があります。それは「一粒(いちりゅう)」という名のキラキラ光る布。布というよりは、リボン状の綿菓子のようにふわふわしたもので、見ただけだと何なのか、何に使うのかもよくわからないのに不思議な存在感を放っています。

「通常、座繰りという繭から糸を引き出す作業を行う時は4粒の繭から引いていくんですが、繭糸はすべて長さが同じではないので、どこかで最初の1個が終わってしまうんです。そうなると、糸の太さが変わるのでその時点で残りの3個も使えなくなる。私はその3個を捨てるのが嫌で、ならば最初から1粒ずつ、1本のみで糸を引き出してみたらどうなるかとやってみたんです。1粒の世界がどんなものか見たくて挑戦したら、こんなに美しい小さな世界が生まれました。これだ!と思って」(大和田さん)

1個の繭から作るので、「一粒」と名付けられた小さくも優しい美。水に濡れただけでぺしゃんこになってしまうし、使用用途も限られる、こんな儚い作品を愛おしそうに手に載せる大和田さんを見ていると、繭や糸に対する深い愛情があたりにも漂っているように思えるのでした。

大和田さん一家が暮らす風通しのいい家。玄関脇に置かれていた野花は柏葉紫陽花だろうか?豪華なフラワーアレンジメントに負けない、凛とした美しさが輝いていた。


何をするのも時間をかけて。豊かで尊い山の暮らし

人里離れた山間の村に暮らす大和田さんですが、その日常は孤独ではありません。野村町に一人単身でやってきてからシルクに携わる人々との交流を一つ一つ積み重ねてゆき、1年後には家業は養蚕農家という人と出会って結婚。女の子を出産されました。日々を取り巻く環境は、都会のホテルでフラワースタイリストとして働いていた頃とは違うものの、忙しく働いて一日があっという間に終わるという意味では変わりません。

「義理の母が、今ではほぼ趣味としてですが養蚕農家を続けており、私も一緒に携わっています。一年がずっと同じということはなく、桑を育てる時期もあれば、蚕が繭を作る時期もあります。蚕は1年に2回繭を作るんですよ、ご存じでした? 春繭と秋繭が収穫できます。それらは農作業ですから自分の都合に合わせてというわけにはいきません。その合間を縫って、糸を紡いだり布を織ったりという時間を何とか捻出するという感じです。もちろん、母としてやることは毎日ずっと続くので、その合間に農作業と制作があるということですね」(大和田さん)

繭が育つ部屋の中で。天井から吊るされた大きな木組みの枠の一つ一つに繭が育っている様子は圧巻。その成長を愛で、落ちた蚕を優しく枠に戻してあげる大和田さんはさながら繭のお母さんのようだった。


何万個もの繭と共に、ゆっくりと美の世界を紡ぐ人

この日の取材では、風が通る和室リビングでお話を聞いたり子供部屋の横に置かれた大きな織機を拝見したり、たくさんの蚕が旺盛な食欲を見せてくれた桑の葉の餌場をのぞいたりと盛りだくさんでしたが、大和田さんの笑顔が最も印象に残ったのが、何千個もの繭がぎっしりと入った大きな木枠が吊るされた部屋でした。

それはさながら、繭たちが暮らすアパートメント。よく見ると、一つ一つ色や形、大きさが微妙に違っています。中には自分の部屋を飛び出して天井から木枠を吊るす綱の部分に巣を作る繭や、床にぽとりと落っこちてしまった蚕たちまで。蚕は、想像していたよりも白くぷくぷくと太っていて、なんだか可愛らしいのでした。大和田さんは床の上でもそもそ動いている蚕をそっと手のひらに載せては、木枠の中に戻していました。

「いろんな繭が出来ます。汚れてしまうのもいれば、うまく糸を吐けない蚕が作ったいびつな繭もいる。ただ、すべてが可愛いんですよ。それはまるで子育てと一緒じゃないかと思って。美醜だけで決められるものではないですし、絶対に無駄にせずにすべてを使いたい。いえ、使うというだけじゃなく美しいものにしてあげたいと思うんです」(大和田さん)

家の一室が機織りの部屋に。かたんかたんとリズミカルな音を立てて、毎日根気強く織り上げていく。


手織りである意味を探り、美を未来に残すために生きる

話を聞く中で、大和田さんが何度も口にした言葉が「美しいものを作りたい」でした。時には「美しい未来」であったり色であったり質感であったり。美しさの要素は見た目のことだけではなく、そこに至るまでの繭の育てられ方や眺めてきた風景、軽さ、重さ、風合いや光はらむ様子まで、あらゆる種類の美しさが大和田さんの織りなす作品にぎゅっと詰まっているようです。一枚の布でありながら、そこには一人の作家の揺るぎない哲学が静かに宿っているのでした。

大和田慶子/YOSHIKO OWADA
1976年香川県出身。28歳まで故郷高松でフラワースタイリストとして活動した後に短期のフランス滞在を経て東京へ。「グランドハイアット東京」の装花を担う会社に入り、数年を過ごす。その後社内の異動により「ハイアットリージェンシー京都」の仕事に従事するため、京都へ。3年を経て、糸を作る段階から染織を学びたいと決意し、それが学べる場として限られた候補しかない中から愛媛県西予市「野村シルク博物館」へ。修業を重ね、現在では日本でも数少ない「桑から繭、繭から糸、糸から織物まですべて一人で担う作家」となる。


text by Mayuko Yamaguchi
photo by Tomoko Arai

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