ジュエリー作家「浅井美樹」インタビュー

2025.10.22

消えゆく美をとどめたい。
矛盾から生まれた小さなかたち


2025年11月6日(木)〜16日(日)、MIN GALLERYではジュエリー作家・浅井美樹展を開催いたします。武蔵野美術大学在学中より数々の内外コンペティションにて受賞歴を重ねてきたコンテンポラリージュエリーアーティストによる、満を持しての初個展となります。

金属工芸からアーティストとしての人生をスタートした浅井さんですが、すでに学生時代より多彩な異素材をクリエーションに用いる異色の存在でした。2024年にはコンテンポラリージュエリーとしては初めて、「ロエベ財団クラフトプライズ」という映えあるアワードで特別賞を受賞。その動向にはジュエリーやクラフトといった垣根を超えて多くの人々から熱い視線が注がれています。そんな活躍を横目にご本人はいたってクールな表情。多くの人々に作品をお披露目する直前の心境を伺いました。

浅井さんの作品は、それのみのビジュアルだと「オブジェ的な大きさ」を想像する人が多いという。そして実際に指に装着できると知って驚かれるとも。


見る人を思わず引き込む、小さく大きな世界観

2024年早春、パリで開催された「ロエベ財団クラフトプライズ2024」のアワードセレモニー。大賞に続いて発表された特別賞に、人々の注目が集まりました。同アワード史上としては初めて、小さな作品~コンテンポラリージュエリー~が受賞したからです。

受賞者の名は、MIKI ASAI。受賞アーティストが居並ぶ中では埋もれそうにも見えるほっそりと小柄な日本人女性、浅井美樹さんは、独特の静かな世界観を持つ作品「still life」で、圧倒的な存在感を示したのでした。

彼女の経歴を見ると「金工」という文字が目に入りますが、この不思議なリングはいったい何でできているのでしょう? 問いかけると浅井さんは、にっこり笑顔で教えてくれました。

「ベースの部分には紙だったり木材だったりを使っています。壺の部分は、最初はワックスで成形してそこに紙を貼り重ねから熱を与え原型のワックスを抜き、その上にウズラの卵の殻を割って貼ったり細かな貝殻を組み合わせたりといった意匠を重ねます。さらに岩絵具を幾重にも塗ってから研ぎ出し、表情を表現しています。壺の内側にも、出来うる限りの部分まで着彩しています。同様に作ったベース部分と接合して。ブローチの場合はベースの裏に金具を装着しますので、その部分は“金工”ですね」(浅井さん)

これだけ多くの素材を一つの作品に用いるという作風は一種独特ですが、すでに武蔵野美術大学の卒業制作の頃より「多素材使い」は始まっていたといいます。「浅井美樹」という独自スタイルは、どのようにして生まれたのでしょうか。

作品撮影の合間、愛おしそうに自身の作品を並べたり選り分けたりする浅井さん。一見飄々としているのに、どこか朗らか、そして控えめで、作品が醸し出す世界観とご本人のイメージはよく似ている。


小さなものたちに宇宙を見つけた幼少時代

華奢な雰囲気と静かな口調からおとなしい方を想像していた浅井さんですが、話を聞いているとそれだけではないということが伝わってきました。芯の強さというのか、職人魂というか。しなやかで強い一本の線のような何かを感じさせる人でした。

「ロエベ財団クラフトプライズでは、作品が並ぶ会場に足を踏み入れた途端に周りの受賞者たちの作品のサイズに驚かされました。皆さん、こんなに大きな作品で勝負していたのか!と素直にびっくりして。トーテムポールのようにそびえる作品や家具のような存在感を持つオブジェの中に、私が作った小さなリングが展示されていて、不思議な気持ちになりましたね。メディアや一般客の方々からは『ミニチュア』って言葉がたびたび出たのですが、いえいえ、ミニチュアと思って作っているわけではないんですよと一人心の中でつぶやいていました」(浅井さん)

浅井さんが生まれ育ったのは名古屋です。幼稚園に入るまでに父親の仕事の都合で各地を回ったそうですが、もの心がついてからは名古屋暮らし。美大を卒業した母親の影響もあってか、幼い頃から絵を描いたりものを作ったりするのが大好きな子供だったといいます。けれど、その話もよくよく聞くうちにユニークなキャラクターが見え隠れするのでした。

「小さいもの、細かいことがとにかく好きでたまりませんでした。今もそうですが。幼稚園の時、大きな粘土の塊を渡されて『さぁ、好きなものを作ってみましょう!』と言われ、私が取り掛かったのは手のひらにのるような人形でした。すると『渡された粘土を全部使って、もっと大きなものを作ってみて』と先生が言うんです。途端にやる気が消え失せて、適当に仕上げたものを投げやりに提出してしまった悲しさを今も覚えています」(浅井さん)

母親が手作りの洋服をミシンで縫う横で、ミシンの音に合わせて踊り出すお茶目さを持ちながら、画用紙には道端の雑草を精細に描き、チラシに掲載されているジュエリーの写真を石を支える爪まできれいに切り抜いて蒐集したり、ビーズ細工、ドールハウス、とにかく小さなもの、細かなものにとことん惹かれる性格はもはや“癖(へき)”と呼んでもいいのかもしれません。

イギリス・グラスゴーに留学していた頃。 語学習得にはそれなりに時間をかけてやし万全で臨んだつもりだったけど、「英国北部の訛が集まった授業やクラスメイトとのトークには最初は全く入っていませんでした」とご本人。


頑張っていないと止まってしまう不器用さを武器に

「過集中」ともいうほどのものづくり好きと趣味嗜好を早くから自覚していた浅井さんは、両親の理解を得て高校時代から美術・芸術大学への進学を決意。「根を詰めるのはまったく苦じゃないんです。逆に頑張っていないと不安になるし、止まってしまう」とご本人。その言葉通り、大学に無事進学した後には一時、燃え尽き症候群的な思いを味わったこともあったのだとか。

「3歳下の弟がいるんですが、彼は私と違って60%くらいの力で受験なんかも突破してしまう。私は、勉強にしてもなんにしても100%全力でやってなんとかクリアする、そんな性分です。だからなのか、力が抜けるとどうしていいのかわからなくなるんです」(浅井さん)

受験のためではなく、かといって単なる趣味嗜好に従ってというわけでもなく、自分が今後「浅井美樹」として生きていくために何を制作するか。そんな根源的な意義を考える兆しとなったのが、いったんすべてをリセットした大学時代にあったのではないかと感じます。その結果、しっかり向き合おうと取り組んだのがさまざまな素材でした。

「武蔵野美術大学では2年生の前期から、専門に扱う素材を考えるという段階に入ります。いきなり決めるのではなく、いくつかの素材との相性を試してみるというような感じで。私が取り組もうと考えたのは木工とガラス、そして金工でした。答えは割とすぐに出たんです。木工は、最初に図面というか完成図をきっちりと決めないと、木材をいったん切断してしまったら後から方向修正するのは難しいのではないかと。ガラスは、瞬間的に判断しなければならないポイントが多く、これも私には厳しいと思いました。そして金工。これだと制作途中でもある程度逡巡できるのではないかと考えたんです。細かい部分にこだわることができるし、悩む時間も持てる。そんなことが金工を専攻する進む理由になりました」(浅井さん)

「自分のテンポ」を何よりも大切にし、考えるための時間も過集中による多少の無理も、納得できるまでとことんやる。もの静かながら決して周りに流されることのない浅井さんのスタイルは、この頃から揺らぐことはありませんでした。大学卒業後はイギリスの大学に進み、そこでもコンテンポラリージュエリーの制作に没頭します。すでに多素材使いは定着しており、徐々に浅井さんが得意とする「壺」モチーフの作品が生まれるようになりました。

ウズラの卵の殻を割り、作品の面に一つ一つ貼り付けていく作業と、岩絵具を重ねてゴツゴツになった表面を研ぎ出していく作業と。「気が遠くなるほどの細かさ」という言葉でしか形容できない、浅井さんの制作風景。飽くなき気力と集中力で地道に作業を繰り返していくうちに形が現れてくる、その瞬間が好きだとご本人は言う。


今日という幸せの記憶を刻みつけておくために

厳密にいえばモチーフは壺だけではないのですが、やはり浅井美樹というアーティストを考えるときに頭の中に浮かぶのは壺という存在。これは何を表しているものなのか、その答えを探りたいのは鑑賞者である我々と同様、作り手の浅井さんも答えを探したといいます

「小さい頃から細かいもの、小さいものが大好きで、小さい種とかむやみやたらと集めてしまう子供でした。ポケットの中に入れてしばらく経つと、壊れてくしゃくしゃになっていたりして。喜びや幸せの感情も同じで、この日が終わらなければいいと思うような美しい記憶が次の瞬間には消えてしまうんです。それがやるせなくて。消えるから美しいのだと自分に言い聞かせてみても、どうしてもそれを閉じ込めてしまいたいという欲望にあらがえないんです。取っておくことのできない美しいものを、どうすれば持ち続けられるか。そんな矛盾を満たすために行き着いたのが、何かを入れる容器である壺というモチーフでした」(浅井さん)

朴訥な印象さえ与えてくれる浅井さんの作品。しかしここには想像を超える思考と長い時間が詰められていて、そんな内包物の重さを微塵も感じさせない軽さがまた、人生の機敏を暗示しているようでもあり、見る人を飽きさせない。


破壊と再構築を繰り返すことこそがクリエーション

一つ一つの小さな壺には、今この瞬間を閉じ込めて大切に取っておきたいと本気で願う作家、浅井さんの想いがいっぱいに詰まっています。また、それらを形作る素材にもすべて、ストーリーが繋がっています。

例えばうずらの卵。卵の殻、そしてそれらに入った細かなヒビに対して浅井さんが抱く想いは「破壊と再構築」。破壊しないことには新しいものは生まれることはないというある意味矛盾した要素は、消えゆく美を取っておきたいという作品作りのきっかけにも共通しています。岩絵具の原料は文字通り、岩や石なのですが、これらにも長い時間が凝縮された存在である石や岩を細かく粉状にして用いるという「破壊と再構築」の意図が宿っています。

そんな意味を知った途端、この愛らしい小さなリングやブローチの奥に、一気に広い地平線が見えるような気がしてくるのでした。

最近作り始めている新たな作品。強いて表現するなら「ブローチ」なのだけれど、端正な日本画のような佇まいと時代を経た西洋画のような落ち着きを持ち合わせていてなんとも不思議な魅力に溢れている。


捉えられないもの、過ぎ去るものに重さはなくて

独自の世界観と、不思議な造形の魅力に満ちた浅井さんの作品。インパクトの強さも相まって、昨今では浅井さんでさえ予測不可能というくらいの勢いを持って、その価値や評判が伝播されていきつつあります。「作品が私を導いていってくれているようです」と笑う浅井さんですが、ふと語ってくれた話が印象に残りました。

「手にした方が皆さん、おっしゃるんです。わぁ、軽い!って。重そうに見えますか? 私、軽く仕上げるようにとても気を配っているので、着けてみた方が軽さに驚かれるとちょっとうれしくなるんですよね」(浅井さん)

なぜ軽く仕上げる必要があるんですか?と聞けば「うつろうもの、消えゆくものを表現するために」と浅井さん。捉えられない感情や想い、過ぎ去っていく記憶には重さってないんじゃないかと思うんですよね、とさらりと答えてくれたのでした。指の上に静かに収まっている存在感とは裏腹に、まるで重さを感じさせない不思議な気配。浅井作品の魅力は、こんな部分にもあるのだと感じます。

 

淡々と日々を作品に表現し続ける、これが私

自分にとって大切なものは、時に人から見ればまったく意味が理解できないこともあります。若い頃にはそんな周りの目も気にせず、自分の思いや夢に従って生きることもできるのですが、次第に世間や時代に迎合し、いつしか何が大切だったのかの記憶も薄まっていく……。それはそれで幸せなことかもしれませんが、浅井さんの作品を眺めていると「思い出してごらん?」と問いかけられているような気持ちになるのが不思議です。

「こんなに作品やものづくりについて話すのは、私自身、初めてのことかもしれません。でも、そもそも私は毎日コツコツと根を詰めて細かな作業を続けていないと、生きていけないなと思うんです、大袈裟でなく。なので、生活の糧のためというよりは、生存意義を得るために制作を続けているのではないかと。制作が、好きでたまらないんです」(浅井さん)

こんなにも深い思想を作品に込めつつも、浅井さんの作品自体は身に着けているだけで心が晴れるような優しさ、爽やかさに溢れています。実物の繊細さ、ディテールまで作り込まれた完成度の高さは、実際にご覧いただくとさらに驚きが増すことでしょう。ぜひお運びいただければと思います。



Miki Asai Jewelry Exhibition



浅井美樹 /MIKI ASAI 
1988年、愛知県出身。武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科金工専攻。卒業後渡英し、セントラル・セント・マーチンズを経てグラスゴー美術学校にてコンテンポラリージュエリーを学ぶ。在学中より欧米を中心とする数々のコンテンポラリーアートやクラフトのコンペティションに参加し、早くから多くの受賞歴を重ねる。帰国後も精力的に活動を続け、「ロエベ財団クラフトプライズ2024」では同プライズでは初となるコンテンポラリージュエリーとしての特別賞を受賞し、内外から注目を集める。



text by mayuko yamaguchi
photo by yumiko miyahama

 

 

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