無限に存在する色の中から
理想の雪白を見つけたい

「MIN GALLERY」では2025年7月18日〜27日、韓国の白磁作家である金相仁(キムサンイン)の日本初となる個展を開催いたします。
何世紀にもわたって人々に愛され続ける白磁。ヨーロッパに渡ってからはボーンチャイナ誕生のきっかけとなり、江戸時代に日本に伝わったのちには伊万里焼や有田焼の祖となり、多くの茶人やアートコレクターからも熱愛されました。では “李朝白磁”を育んだ国、韓国では?
今、この国では新たな白磁のムーブメントが現代人を魅了しています。その一翼を担うのがキムサンインさん。次世代を代表する白磁作家であり、モダンな印象と奥深い優しさを併せ持つ豊かな表情が持ち味です。
このところ、韓国のアートや工芸を特集するメディアでは、キムさんの白い器がページを席巻する様を見かけるのが日常に。注目を集める作家の今の思いを知るために、韓国のアトリエ「該仁窯(ヘイインヨウ)」を訪ねました。

韓国、ソウルから車で2時間ほどの場所、安城にあるキム・サンインさんの工房「該仁窯」。田園地帯の中にぽつんとある建物の中で、黙々と作陶作業に没頭するのがキムさんの安らぎであり暮らしのスタイルだ。
愛されながら形を変えていった白磁という存在
今回、キムサンインさんにインタビューをするにあたり、取材者の常として作家の基本情報を集めようと試みたのですが、これほどまでにクレジットを見かける人気作家であるにも関わらず、ご本人の情報はほとんど見つけることができませんでした。顔写真はもちろん、生まれた場所も年齢も、その経歴も。わずかに、出身学校名と獲得された華々しい賞歴の情報を入手し、一体どんな方なのだろうかと想像と期待はさらに膨らんでいきました。
せめてもの準備として、李朝(朝鮮)白磁とはなんたるかについて調べると、今度は逆にすさまじい量の情報が。ここまで広く深く日常に溶け込んでいる器はそうはないと、改めて分かる内容でした。
白磁の始まりの時期については諸説あるものの、中国に誕生し、その後半島を辿るようにして日本に伝わったことは間違いありません。日本では江戸時代に九州に伝わって有田焼や伊万里焼の礎を築きました。また、西に向かってはヨーロッパにも広まり、ボーンチャイナに変遷したのは有名な話です。総じて言えるのは、何世紀にもわたって連綿と伝えられていることと、今なお人々を惹きつけてやまないこと。
キムサンインさんは、この悠久の流れの果てにある現代韓国において、家庭の食卓で使いたくなる日常の器から美術館のような非現実空間に置いて愛でたくなるような大きな作品までを、“雪白(ソルベク)”と呼ばれるやわらかな白一色で作り続けています。
気高いフォルムと料理人に愛される実用性と

アトリエで釉薬をかけられるのを待つ焼成前の作品の数々。いわゆる素焼きの状態の器だが、マットな肌にはすでに静かな風格めいたものが感じられる。李朝の趣きをフォルムに宿しているのも、キムさんの特徴。
なかなか情報が出てこなかった白磁作家、キムサンインさんですが、徐々に小さな欠片のような記述が見つかりました。ソウルで開催された工芸展の説明書きだったり、彼の作品に傾倒するギャラリーオーナーのコメントだったり。中でも気持ちが惹かれたのは、キムさんが「装飾よりも機能を重視し、食物を盛るシーンを空間ごと思考する」というポリシーを持つということと、そのためにプロフェッショナルの料理人たちから熱く支持されているという話。また、やわらかな光を帯びつつ、ほんのり青みを感じさせる独特の色合いは「雪白」と呼ばれ、コレクターの心を魅了して離さないということも。
修行僧や哲学者の風貌を想像してしまうキムさんのアトリエ「該仁窯」は、ソウルから車で2時間、最後は舗装されていない畦道のような場所をごとごと揺られてようやく辿り着いた田園地帯にありました。
シャイな作家が静かに語り始めたマイヒストリー

アトリエにはところ狭しと積まれた焼成前の素焼きの器、幾つものたらいやバケツが並んでいた。釉薬の素である細かな白い土を見せてくれたキムさんの指。無造作に土をひねるだけなのに、気配が優しかった。
初めて出会うキムサンインさんは、作品が見せるストイックさやソリッドな印象とは裏腹に、やわらかな笑顔がまるで学生のような印象を与えてくれる背の高い人でした。ところどころ白い土がついたトレーナーもズボンも着古した雰囲気で、恥ずかしそうにしながらも「遠いところをようこそおいでくださいました」と言い、韓国伝統の餅菓子と山盛りのいちご、そして熱いお茶を淹れてもてなしてくれました。
「本当によく、こんな遠いところまで。なぜここに開窯したのかとたまに聞かれますが、いらしてみてなんとなくお分かりでしょう、これだけ広い土地なのに安いんですよ。一口に白磁といっても制作スタイルは人それぞれで、私は土を作るところから成形、釉薬作業から焼成、仕上げやものによっては絵入れまで、すべてを自分で行います。土を作るための場所も要るし、成形したものを乾燥させる場や釉薬をかけたものを乾かす場、仕上げた作品を納める倉庫まで、白磁制作にはとにかく広い場所が必要だったんです」(キムさん)
少し話しては、適切な言葉を探して言い淀み、「すみません、インタビューには慣れていなくて」と詫びるキムさん。“シャイ”というよりは、作品のイメージそのままに、今自分が求めているフォルムや言葉でない限り外には発したくないというようなストイックな意志も伝わってくるようです。
一筋縄にはいかなかった、作家としての道
窯を出てあたりを見渡すと、パステルカラーに染まった夕暮れの空に木々のシルエットが美しい意匠を映し出していた。日本と似ているのに、何か決定的に違う匂いがする。
淡々と美しい白磁作品を作り続けてきたのかと思ったら、話を聞けば聞くほどキムさんの作家人生は苦難に満ちたものでした。淡々と語る表情にそんな厳しさを感じることはないのですが、それでも30代後半になってからという遅咲きの成功の前には、自分を信じ切ることができなかった長い道のりがあった様子。
「高校時代に漠然とデザインの仕事に就きたいと思っていましたが、一方では食べていくのも大変という家の事情がありました。近所に陶芸教室というか、工房がありましてね。そこに出入りして陶芸の真似事をするようになると、学生さんは食べ盛りだろうっていって、おやつや軽食を出してくれるんです。10代半ばでしたからね、居心地が良くなってよく行くようになりました。そうこうしているうちに、私の陶芸の腕を褒めてくれる人がいたんです。他人から褒められたのは私にとって初めてのことで、そこからはもう夢中で取り組みました」(キムさん)
「好きこそものの上手なれ」は、どの国でも同じなのだなと感じます。陶芸に活路を見出したキム青年は、その後先輩の勧めもあって大学院のデザイン学部に入り、陶芸を専攻。卒業後は縁があり、李朝白磁の大家として頭角を表していたイ・ジホ氏に師事することになりました。大学院時代は大きなオブジェや白磁以外のものも制作していたキムさんですが、この出会いが今に繋がるきっかけになりました。
イ氏の元での修業期間は、実に12年にも及びました。住み込みでということも考えると、かなり濃い師弟関係にも思えますが、自身の世界観を構築してみたいというアーティストとしての本能に抗うことはせず、“その時”を見定めたキムさんは身一つでの独立を決めたのでした。
人生最後の瞬間に自分は何を作り出しているか

最近になって、白磁に染付を施すことにも挑戦するように。それだけではなく、フォルムもデザインも、微細な変化をまるで楽しむかのようにずっとトライし続けているという。
「実は、師匠の元で作品を作っていた時は、素材もフォルムもとても自由に取り組むことができたんです。ところがいざ辞めて一人になってみたら、何をどうすれば良いのかわからない。当然のことですが収入もゼロになりましたので、何かを作らないと食べていけないわけです。長く修業したのに何を作っていいかさえわからなくなるなんて。……当時は困り果てていました」(キムさん)
悩みの時間は瞬く間に過ぎてゆき、気がつけば3年が経っていたそう。手探りのような心持ちで作り始めたのは、マグカップや菓子台などの生活の道具でした。市場に足を運び、何が売れているのか、人々は何を求めているのかを感じる努力をし始めた結果、当時はまだそれほど若い作家たちが取り組んでいなかった「古代李朝白磁のテイスト」を現代の食卓にも合うようにリデザインした作品に的を絞って展開することを決めたのでした。

自らの道を見出してから約15年。多くの賞を受賞し、日々評価が高まっていくキムさんの作品には、それでも「これを今すぐ食卓で使いたい」と思わせるようなシンプルな器もたくさんあります。その一方で、見た瞬間に心が射抜かれるような圧倒的な存在感を放つ作品も。過去と今の作品を並べても、見る側にはそれほどドラスティックな違いが生じているとは思えないのですが、キムさんは「どんどん変わっているし、かつての作品を見て恥ずかしさを感じることも」と驚くようなことを口にします。
「悪い意味ではないんです。昔の作品を見て恥ずかしいと感じたら、それは良いこと。だって自分が成長している証ではないですか。私の人生は挫折と迷いの連続です。そして自分の考え方も年齢と共に変わっていく。『白磁』という人生を賭して取り組める宝物を得ましたが、その中で常にもがいている、そんな人生なんです。でもいいのです。いつか私がこの世を去る時に、あぁ、最高のものが出来た!と思える作品が完成していれば」(キムさん)
大切にしているのは色。さまざまな白と理想の白

釉薬をかけた作品を焼成する窯。ここには、大小さまざまなサイズの作品が並べられるという。大きさを揃えてしまうと庫内に熱風の気流が生まれず、焼き具合にムラが入る。大小の器をどう並べるかは、経験で習得するしかないそう。
何を作るか悩んだ過去が嘘のように、今のキムさんは迷いを見せずに多彩な作品を次々に作り出しています。小さなものから大作まで、すべてをそのしなやかな手から生み出す毎日。そんな中、キムさんの心を魅了している新たな存在であり課題であるのが、色。「白磁というからには白ですよね?」と問うたところ、静かに笑って首を振ります。
「人々は簡単に“白色”と口にするんですが、私にとってこの色は一言に表すことさえできません。いくらでもあるんですよ、白って。私が生み出したい白は、雪の白です。少しだけ青みを帯びた、雪のような白。軽い白ではなく、少し重みのある白を出すことができれば。理想の白も、いつか死ぬ前には完成するんじゃないかと思っています」(キムさん)
やはりストイックな人、キムさん。優しげに語っていたと思ったら、フォルムや色の話になると、作家・キム・サンインの顔に変わる、そんなシーンが印象に残りました。この方が醸し出す今現在の最上の白が、この夏「MIN GALLERY」に勢揃いします。多彩な白磁が奏でる豊かな世界を、ぜひご覧ください。

年々削ぎ落とされたシンプルさが加速していくキムさんの器。さまざまなサイズが揃う酒器の底には几帳面な筆跡で、願うように一つ一つ「福」という文字が描かれていた

金 相仁/SANG IN KIM/キム・サンイン
1976年韓国・テジョン広域市出身
高校時代より陶芸工房に出入りし、中央(チュンアン)大学大学院入学。デザイン学科博士課程を修了。卒業後、陶芸家のイ・ジホに弟子入りし、住み込みの職人として12年の修業を積む。2010年に独立し、2012年に現在の場所、安城に開窯。李朝白磁の趣きを現代にリデザインする手法に取り組み、2014年には「メゾン・エ・オブジェ」出展。2016年「大韓民国工芸品大展」にて大統領賞受賞。淡くやわらかな光を帯びた「雪白(ソルベク)」シリーズで知られる。
Text by Mayuko Yamaguchi
Interpreter by Ryu Lia