金属の内に宿る優しい息吹を
ジュエリーから感じて
「MIN GALLERY」で2025年6月20日〜29日に開催する、ジュエリー作家・齋藤佳世と写真家・宮濱祐美子による二人展。暮らす国も表現に用いる手法も異なる二人ですが、互いにどこか繋がるものがあることを2022年春の初の二人展で意識し合い、今回、2回目の二人展実現に至りました。
今回、二人が作品を通して表現を試みたものは、自然界のあらゆるものを有機的に結びつけている“つながり”のさまざま。時間の中、人々の記憶の中、そして今踏みしめている大地の奥底にまで、あらゆる場所に存在する菌糸のように複雑で美しいつながりを、作品を通じて見る人に訴えかけます。
イギリス郊外に家族と暮らし、20年以上にわたって作家活動を続けるジュエリー作家、齋藤佳世さんに話を伺いました。今回の展覧会を前に、どのような思いで制作に取り組んでいるのでしょうか。
photo: PaulReed
アトリエにて。金属工芸作家らしく、さまざまな工具類に溢れる空間でありながら、窓の外にはのどかな英国郊外の風景が広がって。黙々と作業に勤しむこともあれば、飼い犬と戯れて過ごす穏やかな時間もあり、ある種憩いの場でもある。
見るほどに惹き込まれる繊細な金工ジュエリー
初めて齋藤佳世さんのジュエリーを目にした時のことを、今でも覚えています。その美しいクリエーションを「金属製のジュエリー」と呼ぶことに戸惑いを覚えてしまったほどでした。というのも、まるでそれは静かに息づいている有機的な何かに思えたから。これは初めて目にする植物?……そう思って手に取ると、金属が放つ静かな冷たさと、和紙を思わせるテクスチャーが奏でるやわらかさが指先に伝わってきました。
静かに寄り沿うようなジュエリーであり、アート。齋藤佳世さんが創り出す作品は、それがブローチであれチョーカーであれリングであれ、身に着けた瞬間から、まるでずっとそこに根付いていた小さな植物のごとくすっと溶け込み、密やかな温度を感じさせてくれます。
見るほどに、作品の奥に眠る深淵に惹き込まれていきそうな雰囲気を持つ齋藤さんのジュエリー。じっと目を凝らして眺めても、それらがどのように作られたものなのか見当がつきません。ご本人に問うたところ、「鋳金(溶かした金属を鋳型に流し込んでから冷やし固め、仕上げを行う技法)でないことは確かですね」と朗らかな笑顔。
「鍛金(金属板を槌などを使って細かく叩いて成形していく技法)や彫金の技術を使うのですが、それ以外にも私独自の様々な作業を施しているので、これらを何技法で作ったかと言われても一言では答えられないほどに複雑なんです。そんなこともあって、私は自身のことをコンテンポラリーゴールドスミスと名乗っています」(齋藤さん)
「ゴールドスミス」とは、貴金属の細工や加工を行う職人のこと。日本にもいますが、齋藤さんが暮らす英国や欧州では王族や貴族のための貴金属工芸としての長い歴史があり、一口に「貴金属職人」といっても今では多彩なジャンルがあります。現代アートとファッション、伝統工芸とモダンクラフト、そんな様々なジャンルが交錯する合間のスポットに、他にはない独自の小さなテリトリーを築いたのが齋藤さんの作品世界だといえるのかもしれません。
一瞬、「これはあの花?あの植物?」と思いをめぐらせるのだけれど、結局それが何かはわからない。「具象ではないんです。正解があったら、逆にクリエイションとしては成り立たなくなる気がして」と齋藤さん。
具象のようでそうではなくて。心を揺さぶるジュエリー
齋藤さんのジュエリーには、過去から今に至るまで一貫した特徴があります。それは、有機的な何かであり植物を思わせるテクスチャーを持っていること。花や葉、種子、時には貝殻や海藻を想起させる不思議な意匠であり、具象なのかとあれこれ考えてもモチーフとなるものは見当たらず、その発想はどこからくるのか不思議でなりません。
「そこは意図して写実的にはしたくないと考えているんです。具体物をモチーフにすると、どうしてもそれを最終的な目標にしてしまいそうな気がして。もちろん、具象画や具象のアートを極めている方もたくさんいらっしゃるし、それは素晴らしいことです。ただ、私の作品に関しては、自然に忠実に写実すると、逆に叶わないことが色々と出てくるんです。例えば、匂いのニュアンスやイメージ。作品のどこかに、身に着ける方が自由に汲み取れるスペースを残しておきたいというのが私の信条です。私が海藻をイメージして作ったものでも、身に着ける方が花を連想して愛してくださるなら、それでまったく問題ありません。見立ててくださることに幸せを感じますし、最終的なことは受け取る方の自由にしていただきたいんです」(齋藤さん)
そのまま眺めてもオブジェのように美しい完成美を誇る齋藤さんのジュエリーだけれど、身に着けてみると驚くほど馴染みが良いことに気づく。「東京で、デザイナーとして働いていた時間が今になって役立っているのだなと気づくんです」と齋藤さんは言う。
齋藤さんのジュエリーが人気を集めるのは、もう一つ理由があります。それが機能性にも優れていること。表現の形としてジュエリーを選んだ齋藤さんですが、アートと違って装飾品という実用性も求められる以上、繊細で美しいものでありながら、ファンクション(機能)面に求められるものも大きいのが事実。ブローチであれば重すぎず服や帽子にしっかりと留まること。ネックレスであれば、簡単にねじれたり裏返ったりせず、イヤリングやピアスは動きの妨げにならずすぐに外れてしまわないように……。金属製であるため、端や表面の処理にも重々配慮しないと、身体や服を傷つけることになってしまいます。
実用性とアート性の両立というミッションを担う齋藤さんの作品世界。それでも見る人、身に着ける人の心を高揚させるジュエリーとして存在させるために、齋藤さんは作家としての表現とデザイナーとして実用に腐心する部分との2つを常に大切にしているといいます。
齋藤さんが暮らすのは、ロンドンから車で1時間ほど行った場所にあるケント州の港町。横浜っ子の第二の故郷がやはり港町になったのは、偶然にして必然なのかもしれない。
母と共に美大に通った横浜の幼少期
長く英国をベースに活躍し続ける齋藤さんですが、シンプルに今の生き方にたどり着いたという訳ではありません。
横浜に生まれ育った齋藤さん。幼少時の最初の記憶は「武蔵野美術大学に母と一緒に通ったこと」というから驚きました。
「母は、私を産んだ後に一念発起して武蔵野美術大学に入学しました。油絵学科です。何かしら思うところがあったんでしょうね。当時としては珍しい例だったと思います。幼い私はバスケットにお菓子を詰めてもらって母に手を引かれて大学に通い、絵を描く母の横で遊んでいた記憶があります」(齋藤さん)
とりわけ美術に関係のある家系というわけではなく、代わりに自由を尊しとする家庭だったと振り返る齋藤さん。子供時代は、家の中にいるよりは外遊びが好きなおてんば少女だったそうです。原っぱで夢中で編んだというシロツメクサの首飾りの話を聞くと、なんだか今の作品に繋がるような気がしました。
「母の出身校だからというわけではなく、いくつかの芸術大学も受験した中で結果的に私も武蔵野美術大学に進学しました。金属工芸を専攻して卒業しましたが、その後いったん一般企業に就職。ガラス器の意匠などを担当する企業デザイナーとして働いていたんです。仕事はとても楽しかった。でも徐々に自らの作品を作ってみたいという気持ちが大きくなってきてしまって」(齋藤さん)
『The New Jewelry(1994/Ralph Turner & Peter Dormer著)』
大量生産でものを作る醍醐味やチームワークの楽しさを体験した会社員時代でしたが、「デザインから成形までのすべてを自身で手掛けてみたい」という、クリエイターの本能とも呼ぶべき思いが募り、その“フラストレーション”を晴らすため、週末を利用してガラスの工房に通い始め作品制作を始めたといいます。そんな時、偶然訪れた書店で巡り合った1冊の本『The New Jewelry(1994/Ralph Turner & Peter Dormer著)』が、運命の転機となりました。当時ヨーロッパを席巻しようとしていたジュエリーの本。主に女性を彩るための装飾を目的としたファインジュエリーとは一線を画し、 作家たちの感性を自由に表現するジュエリーの在り方を紹介したこの本は、齋藤さんに強いインパクトを与えました。
「ジュエリーの世界に、こんなに自由な表現が許されているなんて。震えました。なぜこの世界があることを大学時代に知ることができなかったんだろう、って。本を注意深く読むと、こういった活動を続ける作家たちの多くが、ロンドンにある『ロイヤル・カレッジ・オブ・アート』という王立の美術大学を卒業していることがわかり、ここに入って勉強し直してみたいと考えるようになったんです」(齋藤さん)
ガラスの企業を退職し、貯めたお金でイギリスに渡った齋藤さんのチャレンジはここから始まりました。
ゴールドスミスという生き方に至るまでの長い寄り道
ロンドンにある王立の美術大学「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」。どんな専門的なことを学ぶのかと思ったら、齋藤さんの答えは意外でした。
「技術や素材についてももちろん学びます。でもそれ以上に自分との対話が大変重要視される学校でした。この大学に限った話ではないのですがとにかく自分を見つめ直すことが大切な制作工程の一つであり、提出する課題作品に関しても、精神的なことも含めて“なぜ”と問われ続けます。自分とは誰なのか、何者なのか。日本人であり女でありといったところから始まり、そういった枠もすべて外したとき、私という個人はどういう存在なのかをとことんまで考えた。この学校での最もハードな課題でした」(齋藤さん)
自分とは何者なのか。簡単なようで、これほど哲学的で難しい問いはありません。美術工芸を志す学生にとってなぜこの自問自答が必要なのかといえば、この難題と向き合う時間がその先に進む道筋を示してくれるから。日本の美術大学で金属工芸を学び、企業ではデザイナーとしてガラスに取り組んだ齋藤さんですが、渡英後は和紙や石、木材といった様々な素材に触れつつ金属をメインに扱うようになりました。しかし、どんな素材を用いようが「齋藤佳世」というカラーやキャラクターは作品の中にしっかりと息づいています。なぜかといえば、絶えず自分に問いかけ、自身の内なる根源から発露するものだけを作品に映す制作スタイルが完成しているから。コンテンポラリーゴールドスミスである以前に、純粋なるクリエイターなのだなと感じます。
自分の中にずっとある“命の根っこ”を探し続けて
今回の二人展の中では、奇しくも写真家の宮濱祐美子さんと同様に「世界中に存在する、菌糸のように有機的なつながりを表現したい」と口にした齋藤さん。不可思議な魅力を持つ植物のような作品を作り続けていますが、そのニュアンスは年々少しずつ変化しています。花弁のようなフォルム、茎を思わせる曲線、葉脈を想起させるテクスチャー……。すべてがどこかでつながっており、それらは私たち人間も同じであるということをさまざまなジュエリーで表現し続けています。
生きていることへの感謝を静かに歌い上げるかのような齋藤佳世さんのジュエリー。ぜひギャラリーで実際に触れてみてください。
ジュエリー作家
齋藤佳世/KAYO SAITO
1969年神奈川県出身 武蔵野美術短期大学卒業後、国内のガラスメーカーに就職しデザイン業務に従事するも再び制作活動に身を投じ、渡英。ロンドンにある王立美術大学「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」のマスターを卒業。以降、イギリスを拠点に多くのプライズを受賞する日本人デザイナーとしてコンテンポラリージュエリーを創り続ける。インスピレーションの源は、自然界で紡ぎ出される美しく繊細な生命。唯一無二の世界観で見る人を魅了する。
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Text by Mayuko Yamaguchi
Photo by Yumiko Miyahama(作品のみ)
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