見えない部分も美しい、
そんなジュエリーを追い求めて

2025年10月3日(金) 〜 12日(日)、MIN GALLERY ではジュエリー作家・横内さゆみの個展を開催します。
高校卒業と同時にアメリカに渡り、四半世紀を超える長い時間をカリフォルニアやニューヨークで過ごした横内さんですが、繊細で優美、かつ、気の遠くなるような時間をかけた根気強い作業を連想させるジュエリーの数々からは、日本の伝統工芸に通じるニュアンスも多分に感じられます。
過ごした時代や眺めたもの、関わった人々、旅した場所から常に刺激を受け、新たな作品を生み出してきた横内さん。今回の個展では、過去の記憶を注意深く見直しつつ紡ぎ出していった最近の作品が出品されます。制作活動に没頭する日々の合間を縫って、アトリエにお邪魔しました。

何気なく積み重ねられた缶や掛けられている小さな道具類の数々にも、横内さんの美学や繊細さを感じずにはいられない、アトリエ片隅の風景。
小さなアトリエは思想と遊びのワンダーランド
東京、中央線沿線に広がる静かな住宅街の一角に、横内さゆみさんのアトリエはありました。太陽の光がさんさんと射し込む部屋に入った瞬間、思わず歓声を上げてしまいました。そこは古びたマンションの一室を丁寧にリノベートした居心地の良さそうな空間で、随所に置かれた鉢植えはみずみずしく、その合間にはちり一つ落ちておらず、テーブルに置かれたガラスのポットの中にはお茶がたっぷり入っていて、揺れる氷がからんと音を立てました。
いらっしゃいませ、どうぞ中に。
穏やかに迎えてくれた横内さんがこの小さな城の主人。そして、ワゴンテーブルやデスクにはたくさんの本、ミニ缶、ボウルが整然と並べられていて、一つ一つの容器にはまるで古美術蒐集家が集めたかのごとく、金属やボタンなどのパーツが几帳面に入っているのが見えました。
デザイナーやアーティストという人種には、これまでもお会いしてきましたが、分かったことが一つあります。それは、作品に通じる何かしらのニュアンスが、彼らが暮らす空間にも満ちていること。「名は体を表す」と言いますが、「部屋は主人(あるじ)を表す」ことを改めて思い出しました。
涼しげなガラスのポットの中に入っていたグリーンティーには、横内さんが「大好き」と語る米粉のクッキー、そしてさりげなく花が添えられ、インタビューというよりはまるでご近所の茶話会のような雰囲気が心地良さを演出してくれていた。
反復と偶然とが折り重なって形作る小さな美
横内さんは、長くアメリカや日本で活動を続ける金工ジュエリー作家……だと思っていました。ところがアトリエの隅々を見回すと、紙を加工して成形したユニークなオブジェや作業中と思しきオーダージュエリーっぽい作品に、アンティークのボタンや小さな人形にまるで“いたずら”を施したようなものまで、雑多でありながらなんとも愛らしいモノたちで溢れています。本業はいったい何?
思わず確認したくなりました。
「金属でジュエリーを作るのが本業ですが、時には紙やビーズに手が伸びることも。私にとってはどれも制作活動の一環であり、区別している意識はないんです。だってほら、見てください、これ(と言って見せてくれたのは2011年にアメリカで出版された作品カタログ)。2000年代に私が作ったものなんですが、一粒真珠の指輪をモチーフにしたキャンドルスタンドなんですよ、面白いでしょう?(笑)真珠の部分がキャンドルで作られていて、本当に火を灯せるんです」(横内さん)
そんな横内さん、ここ数年間の作風は変遷してはいるものの、一貫しているのは、一目見れば記憶に残るディテールの細やかさや、何かを訴えかけてくるように饒舌なストーリー性。その魅力は圧巻で、なおかつそこに何らかの物語が潜んでいることが伝わってきます。その独特な雰囲気に思わず魅入られいつまでもずっと眺めていたくなる、そんな作品が横内さんの持ち味です。
「反復と偶然。私の制作スタイルを言葉で表現するなら、この2ワードに尽きます。ジュエリーやオブジェを形作るパーツの一つ一つは本当に細かいものたちで、それらを根気強く、自分でも呆れるほどたくさん作ります。それも、デザインを変えてさまざまな種類を。並行して様々なパーツを作りつつ、ある時は一旦中止してしばらく放って置いたりもして、そしてある瞬間に、いくつかのものたちが惹かれ合うかのようにして集まって、作品へと昇華していく。自分でも意図せずに行なっている部分もあり、これが醍醐味なのかなとも思います」(横内さん)
過去の作品を愛おしそうに見せてくれた横内さん。時代ごとに作風はずいぶん異なるように思えるけれど、よく見てみればそこに息づいているキャラクターは、ずっと本人そのもの。繊細で息を飲まれるような創造性、そして遊び心が必ず潜んでいる。
靄や霞のような“何か”がいつしか言葉になっていく
そんな話を聞いていると、横内さんのジュエリーはまるで生き物のようにも見えてきます。耳を近づけてみると本当に内から声が聞こえるのではないかと思うような。
「私にとって、ジュエリーや作品を創る上で大切なものの一つは言葉です。大袈裟にいえば、ジュエリーって美しいというだけでは成り立たないと思っているから。目には見えないけれど、そこには何かしらの精神的な存在理由やストーリー、必然性があってほしいと思うし、それらは“なんとなく”ではなくちゃんと第三者にも伝わるように、言葉をまとう必要があると考えています。ただ、最初から確固たる言葉やテーマが存在しているかといえばそんなこともなく……。そうですね、オノマトペ的なもの、あるいはふんわりと色が思い浮かんでいる、そんなイメージです。それらを頭の片隅に感じながら黙々と作業を反復しているうちに、いつしか少しずつ姿を現し、言葉になっていくんです」(横内さん)
横内さんに会う前に過去の活動をリサーチした中でも、彼女が発する言葉は私の心に実に心地よく刺さりました。例えば個展のタイトルが「Absence Is Present(不在は存在している)」だったり、作品名が「Ring My Bells(私の鐘を鳴らそう)」だったり。読んだ瞬間から、じわりと滲むようにニュアンスや心情が沁みてくるのです。いったいどんな風にして、このスタイルは確立されていったのでしょう。
小さな鐘が連なった神楽(かぐら)のようなオブジェが手の甲の上で揺れる、不思議な指輪「Ring My Bells」。一度見たら忘れられないこのデザインのジュエリーを、横内さんは2000年台から素材も構成も様々に、作り続けてきた。
世界中の美しいものを眺め続けたニューヨーク時代
その答えは、何よりも横内さんが過ごしたこれまでの半生に由来していると感じます。
「両親が旅好きで海外に縁のある人たちで、子どもの頃から海の向こうに広い世界が待っているという感覚がありました。一方、規則やルールに縛られることがどうしても苦手で。学校の勉強は英語とアートだけが得意で、他は興味がなかった。そんな私だったので、高校を卒業すると同時に渡米することを、親も仕方がないと許してくれたんです。ほんの数年の予定が28年になったのは想定外でしたが」(横内さん)
カリフォルニアの自由な空気を吸いながらアートや日本以外での生き方を学び、ニューヨークに移ってからは同じ国の中にも別世界があることを改めて知り、次第に自分と向き合いつつも他人とのコミュニケーションを途切れさせないことが、何よりも自分にインスピレーションをもたらすと理解できるようになった横内さん。ジュエリーブランドに勤めながら自身の制作活動も行い、さらには多くの人たちと触れ合うことから得られる刺激を求め、ワークショップなどの教育活動も続けたのだそう。
中でも横内さんに影響を与えたのが、当時大変な気鋭として頭角を表していたジュエリー&アートのクリエイティブディレクター、フェデリコ・ディ・ベラだったのではないでしょうか。彼がサンフランシスコからニューヨークに進出する段階で、横内さんのジュエリー原型師としての腕を見込まれてプロジェクトに引き入れられたのでした。
「彼が生み出す空間は、珍しいものや選び抜かれた美しいものが集められたキャビネットのような場所であり、ギャラリーでした。創業者でありディレクター・デザイナーを務めるフェデリコ・ディ・ベラは、素晴らしい美的センスを持つ人で、彼と仕事をしていたことで、それまで私が考えていた“美しさとは”の定義が少し変わったのかもしれません。フェデリコは、世界中からありとあらゆる美しいものを集めてきてはテーブルの上に一気に広げ、さぁこれをどうやってもっと価値あるものにしよう?と聞くんです。脈絡がないようでいて、すべてはフェデリコのセンスという関門を通ったものたち。17世紀のアンティークカメオの断片やイタリアで見つけた珊瑚とか……。遠い彼方の国から運ばれてきた鯨の髭を見たときは本当に驚きました。私のミッションは、それらに加工を施してお客様が欲しいと感じる価値を持たせること。創意工夫のセンスはもちろんですが、人によってものの見方も美しさの基準もこれほど変わるものなのだと認識できたことは大きな収穫でした」(横内さん)
これまで過ごした時代が閉じ込められた大切なブックの数々は、今でも宝物。これらの時代が横内さんの人生にはなくてはならない重要なエッセンスとなったそう。今はまったく作風も異なるものを制作しているけれど、過ごした軌跡が今を形作っている。
異なる視点を持てば見つかる、新しい美しさ
「異なる視点を持てば、別の美しさが見えてくる」という気づきは、横内さんの制作スタイルだけでなく生き方にも影響を与えました。取材前、私は横内さんが帰国を決めた2018年という年が気になっていました。大学院卒業や「DE VERA」を辞めたタイミングでもなく、同時多発テロに世界が震撼した2011年でもなく。尋ねてみると、理由はシンプルでした
「父が亡くなる前の2015年頃から、母や姉と共に介護のこともあって帰国する機会が増えました。1年に3度ほど、それまでにないペースで行き来するうちに、あれ?日本ってそんなに窮屈でもないし、逆に便利で優しさに溢れた場所ではないかと思うようになったんです。不思議ですよね、年齢のせいかもしれませんが」(横内さん)
28年間という時間を過ごしたアメリカは、グリーンカードも取得した横内さんにとってはもはや母国のような存在でした。けれど帰国したところで何かを失うこともないと、横内さんは東京に戻ってきたのでした。当初苦労したのは、言葉。「言い回しとか出てこないんですよ。あまりにも長く英語で生きてきたので。本、友達とのおしゃべり、そしてお笑い番組やラジオ。ずっとそういうものを聞きっぱなしにして、改めて日本語を見つめ直していました」と笑顔で振り返ってくれました。
横内さゆみさん。静かに語る様子を聞いていると、天真爛漫な少女と悟りを得た哲学者が同居しているような独特のニュアンスがあり、そう伝えると少し照れながら「だいぶ慣れたけれどまだ日本語の力が十分に戻っていない感じがあって。選びながら話しています」と謙遜。
教えることから得られるインスピレーション
制作活動と共にもう一つ、継続していることがあります。それが教育分野での活動。横内さんは現在、武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科で金工専攻の学生相手に非常勤講師を続けています。根を詰める制作活動の合間を縫って、意欲満々にアートを学ぶ人々に教えるのはハードでは? そう聞くと「ハードですが、辞められないんです」という答え。
「技術だけを教えるのが仕事ではないんです。アメリカにいた時もずっと続けていたのは、コンセプトを形にすることの難しさや楽しさを誰かと分かち合う経験が私にとってもインスピレーション源だったから。10人いれば10通りの考えがあり、それらに触れることで、美を見つめる視点は何通りもあるということに日々気づかされています」(横内さん)
そういう姿勢が謙虚であり、静かに語る雰囲気は小津安二郎映画に登場する大和撫子っぽい。思わずそう口にすると、大いに照れて微笑む横内さんでした。
心の中にある鐘を鳴らすために、旅は終わらない
しなやかな感性と繊細な作品と。そんな横内さんですが、終始一貫して受ける印象はといえば「芯の強さを秘めた人」。彼女の手から生み出されるジュエリーは、時にポエティックだったり華奢なイメージも与えるのですが、やはりそこには強さが内包されています。
前述したシリーズ名の一つ「Ring My Bells」を初めて目にした時には、その造形の自由さと美しさに驚きました。手の甲の上で静かに揺れる鈴たち。中には本当に鳴る作品もありますが、そうでないものも、見ていると頭の中に高らかな鐘の音が聞こえてくるようです。私の鐘を鳴らそう、心を喜びで満たそう、ひらめきで暮らしを彩ってみよう、と。確かにこれは単に私を装飾するためだけのジュエリーではありません。
「美しいだけでは足りないんです。そこに秘められた意味も与えられた言葉も、ストーリーもビジュアルも、それを手にした自分の心もすべて美しいと思えるような、そんな作品を作り出せたら。そのために、ずっと制作という旅を続けているんです」(横内さん)
今回の個展では、横内さんの作品をご覧いただけ、実際に触れることも可能です。また、彼女が歩んだ道のりが少し垣間見えるような過去の作品(こちらは非売品)も、一部展示いたします。ぜひ独特の世界観を実際にご覧ください。
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SAYUMI YOKOUCHI Jewelry Exhibition
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横内さゆみ/SAYUMI YOKOUCHI
東京都出身。1990年、高校卒業と同時に渡米。カリフォルニア芸術大学に学び、卒業後はニューヨーク州立大学ニューパルツ校にてメタルアートを学び美術学修士号修了。以降ニューヨークを拠点にクラフトやジュエリーデザインの分野で経験を積むと同時に自身の作品の制作活動、及び教育活動も続ける。在米中はニューヨーク発ブランド「Me & Ro」や「DE VERA」にも勤務。28年間に及ぶ米国生活を経て2018年帰国。現在、東京を拠点に制作活動を続けている。
text by Mayuko Yamaguchi